興隆山 眞照寺について

眞照寺について

眞照寺は、佐賀犬井道周辺地区の中では最も古い真宗寺院です。1593年(文禄2年)に開基、天台宗から浄土真宗へ改宗し、現在は16代目の住職となります。1828年9月17日、シーボルト台風(別名:子の年の大風 高潮5mという過去300年間に日本を襲った台風の中で最強のもの)により寺が壊滅。復興の際には佐賀藩10代藩主鍋島直正公も、鷹狩りの折に視察に立ち寄られております。平成6年9月に本堂が火災。現在の本堂は平成10年に落成いたしました。

眞照寺 本堂

浄土真宗の教え

浄土真宗は、鎌倉中期に浄土真宗を開いた僧侶、親鸞聖人を宗祖とする仏教宗派です。浄土真宗の要となるのは「阿弥陀さまの本願を信じ、念仏を称えて仏となる」という教えです。「本願」とは、阿弥陀さまが菩薩として修行中に立てた48の誓願のうち、18番目の願いのことで、これには「わたしが仏になったなら、すべて命あるものを必ず迷い苦しみから救い出す」という意味が込められています。また、浄土真宗は「出会い」の仏教でもございます。仏さまからのあたたかな心に出会うとき多くの方と互いにつながり、関わりあって生きていることに気づかされます。仏さまと「仏さまのことば」を大切にする心は、未来の人々にもつながり、まだ見ぬ人々の幸せへと結びついていき、それぞれの人生の宝物となるのです。

阿弥陀様

現在の二階建ての鐘楼堂は、シーボルト台風で全壊しその後1830年代に再建されたものになります。以前の梵鐘は、太平洋戦争時に軍へ供出。現在の梵鐘は、後の昭和40年に元根操女史から寄贈されました。眞照寺では例年、一年間煩悩に振り回されてきた事を振り返り、晴れやかな気持ちで新年を迎えられるよう、大晦日の夜に「除夜の鐘つき」を行なっております。

眞照寺の梵鐘
眞照寺の梵鐘

眞照寺の梵鐘

合葬墓「あじさい」について

あじさいの花には、小さな花が集まり華麗に咲く美しさがあります。同様の意味合いで名付けられた合葬墓「あじさい」は、みんなで納骨ができる施設です。後を見守る方がいらっしゃらない個人の方や、家が途絶えた家庭など、安心してご加入いただけます。お気軽にご相談ください。

合葬墓「あじさい」

仏事・法要について

仏事・法要は、亡き人のためだけでなく、参拝者一人ひとりがご自身のために仏法を聞き、仏さまの教えに触れる機会となります。ここでは、それぞれ法要の意義をお伝えいたします。眞照寺では仏事・法要も承っておりますので、詳しくはお電話または、お問い合わせフォームにてお気軽にご相談ください。

中陰

中陰法要とは、故人がご逝去されてから49日間、7日おきに供養を行う法要です。
浄土真宗においては、亡くなってすぐに極楽浄土に辿り着くとされる為、追善供養の意ではなく、ご遺族自身が阿弥陀さまのお心をいただきながら、悲しみから立ち直ってゆくための機縁となる法要です。

  • 初七日:7日目(6日後)
  • 二七日:14日目(13日後)
  • 三七日:21日目(20日後)
  • 四七日:28日目(27日後)
  • 五七日:35日目(34日後)
  • 六七日:42日目(41日後)
  • 満中陰:49日目(48日後)

ご希望により、初七日を繰り上げて葬儀と同日にお勤めする場合や、二七日〜六七日を省略する場合もございます。

初盆法要

満中陰(四十九日)後、初めて迎えるお盆に行う法要です。
浄土真宗においてはお盆は歓喜会(かんぎえ)と呼ばれ、仏になられた故人を思い出し、偲ぶだけでなく、生人が仏さまの教えに触れる時でもあります。

百箇日

百箇日とは、亡くなられた命日から数えて100日目に行う法要です。
「大声で嘆き悲しむのを終える」という意から、「卒哭忌」とも呼ばれ、ご遺族が悲しみに区切りをつける日とされています。

年忌法要

年忌法要とは、定められた年の祥月命日(亡くなった同月同日の命日)に行う法要のことです。
五十回忌以降は、50年ごとにお勤めいたします。

  • 一周忌:没年1年後
  • 三回忌:没年2年後
  • 七回忌:没年6年後
  • 十三回忌:没年12年後
  • 十七回忌:没年16年後
  • 二十五回忌:没年24年後
  • 三十三回忌:没年32年後
  • 五十回忌:没年49年後
眞照寺 本堂

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